こんにちは、大人バレエアカデミー™、バレエトレーニングディレクターの猪野です。

幕が下りて、客席が拍手に包まれる。
ロビーでは「素敵だったね」という声があちこちから聞こえてくる。

そんな中で、心の中でそっとつぶやいたことはありませんか。

「きれいだった。でも、正直よく分からなかった」

実は、私もそうでした。
初めてバレエを観たとき、頭の中は疑問でいっぱいでした。

なんで、誰もしゃべらないんだろう。
誰が主人公なんだろう。
あの人は、いったい何をやっているんだろう。

舞台の上の人たちは、とても美しく踊っていました。
それなのに、私には物語がほとんど見えていませんでした。
周りの人がみんな分かっているように見えて、自分だけ取り残された気がしたのを覚えています。

だからこそ、最初にお伝えしたいのです。
舞台を観て「分からなかった」と言っても、まったく問題ありません。
それは観る力が足りない証拠ではなく、真剣に舞台と向き合ったからこそ出てくる、正直な感想です。

「分からない」には、ちゃんと理由がある

あのとき私が抱いた三つの疑問には、どれもきちんとした理由があります。

なんでしゃべらないの?

バレエは、言葉を使わない芸術です。
物語は、踊りと音楽、そして「マイム」と呼ばれる身ぶりで語られます。
セリフで説明されることに慣れていると、言葉がないだけで、物語の手がかりを一気に失ったように感じます。

誰が主人公なの?

バレエの舞台には、たくさんのダンサーが登場します。
同じような衣装の人が何十人も並ぶ場面もあり、誰を観ればいいのか迷うのは自然なことです。
映画のように、カメラが主人公を大きく映してくれるわけではありません。
どこを観るかは、客席の一人ひとりに任されているのです。

あれは何をやっているの?

これが、いちばん多い疑問かもしれません。
たとえば、両手を頭の上でくるくると回す動きは「踊る」、左手の薬指を指す動きは「結婚」を表すマイムとしてよく知られています。
知っていればセリフのように読み取れますが、知らなければ、優雅な手の動きにしか見えません。

さらに、バレエには物語のない作品もあります。
音楽そのものを身体で描いたような作品では、そもそも「何をやっているか」を探す必要がないこともあります。

今年10月29日の「ワールド・バレエ・デー」のテーマは、まさに「物語はどう作られるか」です。
世界のバレエ団がレッスンやリハーサルの様子を配信する日で、英国ロイヤル・バレエはクラスを含む3時間のライブ配信を予定しています。
プロが舞台裏を見せてまで伝えようとしているのは、裏を返せば「物語の作り方は、観ているだけでは見えにくい」ということでもあります。
分からなくて当たり前なのです。

「分からない」は、次の扉の鍵になる

「分からなかった」と言葉にできると、次に何をすればいいかが見えてきます。
私の三つの疑問にも、それぞれ小さな答えの見つけ方があります。

しゃべらないことに戸惑ったなら、あらすじを読んでから観てみる。
物語の流れを知っているだけで、言葉がなくても場面がつながって見えてきます。

主人公が分からなかったなら、ひとりで踊る場面や、二人で踊る場面に注目してみる。
主役は、照明が集まる場面や、ひとりだけ違う衣装で登場する場面が多いものです。
カーテンコールで最後に出てくる人を見て、「あの人だったのか」と答え合わせをするのも楽しみ方のひとつです。

何をやっているか分からなかったなら、代表的なマイムを三つだけ覚えてみる。
物語のない作品だったなら、「音楽を聴くように観る」と決めてみる。

反対に、分からないことを隠したままにすると、「バレエは自分には向いていない」と扉を閉じてしまいがちです。
「分からない」は、その扉を開けるための鍵なのです。

「分かった」より「心が動いた」を拾う

舞台の感想は、「理解できたかどうか」で決まるものではありません。

第2幕の音楽が、帰り道もずっと頭の中で鳴っていた。
何十人もの腕の角度がそろった瞬間、思わず息を止めていた。
主役の衣装が、照明によって青にも銀にも見えた。
一人だけ、ずっと楽しそうに踊っている人がいて、つい目で追っていた。

どれも立派な感想です。
「物語はよく分からなかった。でも、あの場面で息を止めていた」。
分からなかったことと、心が動いたことは、ひとつの感想の中で一緒に持っていていいのです。

指導者・保護者の方へ

公演や発表会のあと、子どもが「よく分からなかった」と言ったら、どうか否定せずに受け止めてあげてください。

「そっか。どのあたりが分からなかった?」
「じゃあ、いちばん覚えている場面はどこ?」

こう聞き返すだけで、子どもは「分からないと言ってもいいんだ」と安心できます。
そして、自分が感じたことを言葉にする練習にもなります。

子どもが口にする「なんでしゃべらないの?」「誰が主役?」という疑問は、かつての私と同じものです。
それは、舞台をしっかり観ようとしているからこそ出てくる、大切な問いです。

大人の言葉が子どもの心に残す影響は、思っている以上に大きいものです。
ダンサーのメンタル不調に関する研究をまとめた2026年の系統的レビューでは、本人の完璧主義や自己評価の厳しさに加えて、指導者の否定的な言動も、関連する要因のひとつとして挙げられています。
ただし、その多くは一時点の調査で、因果関係までは分かっていません。
それでも、舞台の感想ひとつで「正解を言えなかった」と感じさせる場面が重なれば、「間違えてはいけない」という気持ちを育ててしまうかもしれません。

踊る人にとって、観る力は大切な財産です。
そして観る力は、「分からない」を正直に言える場所でこそ育ちます。

セリフのない物語を、観に行ってみませんか

新国立劇場バレエ団では、チャップリンの名作『街の灯』を世界で初めてバレエ化した作品が、10月23日から11月1日まで上演されます。

もとの映画も、ほとんどセリフのない作品です。
それでも、多くの人の心を動かしてきました。
言葉がなくても、人は物語を受け取ることができる。
その物語が、今度はバレエという、やはり言葉のない芸術で語られます。

なんでしゃべらないんだろう。
誰が主人公なんだろう。
あれは何をやっているんだろう。

もし観終わって、あのときの私と同じ疑問が浮かんだら、それで大丈夫です。
その疑問を一つずつほどいていく時間こそが、バレエを観るいちばんの楽しみなのですから。

お知らせ:子どもたちにクリスマスのバレエを

最後に、ひとつご紹介させてください。

12月5日・6日、東京・高輪のMoN Takanawa: The Museum of Narratives Box1000で、イワン・ワシリーエフ演出・振付の全幕バレエ『クリスマス・キャロル』が日本初演されます。
この公演では、支援を必要とする子どもたちを劇場に無料招待するためのクラウドファンディングが行われています。

キャスティングディレクターの福田昂平さんは、10歳のころ、初めて観たバレエに心を揺さぶられたそうです。
バレエのことは何も知らず、何がすごいのか説明もできない。
それでも、心が震えた。
その体験が、ダンサーとしての人生の始まりになったといいます。

分からなくても、心は動く。
この記事でお伝えしたかったことを、まさに体験した方の挑戦です。

クラウドファンディング全体の支援総額20万円ごとに、子ども1名が招待されます。
公演チケット付きのリターンもあります。
募集は10月31日までです。

一人でも多くの子どもに、「分からないけれど、心が震えた」夜が届きますように。

https://camp-fire.jp/projects/975719/view?utm_campaign=3&utm_medium=reffaral&utm_source=qr

キーワードで記事を探す