こんにちは、大人バレエアカデミー™、バレエトレーニングディレクターの猪野です。
レッスンで同じ注意を何度も受けると、「またできなかった」と感じますよね。
先生が何を言っているのかは分かる。自分でも直そうとしている。それでも次のレッスンで、また同じところを注意される。
そういうことが続くと、多くの人は自分の練習を振り返ります。
もっと意識しなければいけないのかな。家でも練習したほうがいいのかな。自分は覚えが悪いのかな。
バレエが好きで、上手くなりたくて通っているのですから、自分にできることを考えるのは自然なことです。
ただ、私はそこで、教えている側も同じように自分の仕事を振り返っているだろうか、と考えます。
注意をしたあと、生徒は何を変えようとしたのか。
そもそも何を変えればいいのか分かっていたのか。
今やっている練習で、それを直せるところまで説明が届いていたのか。
そこを確認しないまま、「まだできていない」「前にも言いましたよね」と続けていたら、生徒だけが毎回反省するレッスンになってしまいます。
長くバレエを踊ってきた人なら、動きを見て「ここがおかしい」と気づくことはできるでしょう。
けれども、気づいたことを相手に伝え、その人が実際に変えられる練習へ落とし込むことは、自分が踊ることとは別の仕事です。
ところが、その「教える仕事」を、先生になる前に学ぶ機会はどれくらいあるでしょうか。
踊るためには何年も先生について学んできた人が、教える側に移った途端、「これだけ長く踊ってきたのだから教えられるでしょう」とクラスを任されることがあります。
そこで困るのは、生徒だけではありません。
先生自身も、教えながら一人で答えを探すことになります。
なぜ、バレエでは「教え方」を学んでいない人でも先生として仕事を始められるのでしょうか。
私は、これは個々の先生の勉強不足だけで説明できる問題ではないのです。
踊りの経歴が、教える力の証明になっていく
日本の民間のバレエ教室では、すべての教師が共通の教師養成課程を修了し、試験に合格してから指導を始めるわけではありません。
K-BALLETの教師養成に関する案内でも、日本にはバレエ教師を名乗るための明確な資格制度がない現状に触れられています。同校ではそのうえで、研修を受け、教師試験に合格した人が指導にあたる仕組みを設けています。
英国のロイヤル・アカデミー・オブ・ダンスにも、学習とスタジオでの指導実習を組み合わせた教師養成課程があります。
つまり、バレエを「どう教えるか」を学ぶ仕組みそのものが存在しないわけではありません。
問題は、それを学んだかどうかが、先生としてクラスを持つための共通条件にはなっていないことです。
教室が新しい先生を探す場面を考えてみてください。
候補になった人は長くバレエを踊っている。舞台経験もある。留学経験があるかもしれない。コンクールで実績を残しているかもしれない。
自分の教室で育った人なら、人柄も分かりますし、練習に取り組む姿勢も知っています。
「この人なら生徒を任せられそうだ」と思うのは、ごく自然なことです。
私も人を採用する立場なので、その感覚は分かります。
ただ、そこで一つ抜けやすいものがあります。
その人が、分からない人に説明するところを見たことがあるか。
初心者が想定外の動きをしたときに、説明を変えられるか。
できない原因を一つに決めつけず、何につまずいているのかを探せるか。
こうしたことは、踊っている姿だけを見ても分かりません。
それでも、踊りの経歴と人柄が分かっていると、教える仕事についても大丈夫だろうと考えやすい。
採用した先生を生徒に紹介するときにも、プロフィールに書かれるのは、多くの場合、所属したバレエ団、留学先、出演した舞台、受賞歴などです。
それを見た生徒は、「バレエについて深く知っている先生なのだろう」と考えます。
そこまでは間違っていません。
ただ、その印象が「初心者にどう教えればよいかについても、十分に学んでいる先生なのだろう」という理解にまで広がることがあります。
先生本人が何かを偽っているわけではありません。
周囲が、踊りの経歴から教える能力まで推測しているのです。
そして教室を運営する私たちも、その紹介の仕方に関わっています。
急に代講が必要になることもあります。
その日のクラスを止めないために、とにかく担当できる人を探さなければいけないこともあるでしょう。
最初は一回だけのつもりだった。
でも問題なく終わった。
生徒から大きな苦情も出なかった。
そのまま次もお願いして、気づけば毎週担当している。
そうすると、その人には「指導歴」もついていきます。
三年教えている、五年教えている、十年教えている。
けれど、その何年かの間に、誰から何を教わり、自分の指導をどう見直してきたのかは、年数だけでは分かりません。
教え方を学ぶ仕組みがないまま経験年数だけが増えていけば、いつの間にか「経験豊富な先生」になります。
ここに一つ、バレエ教師が教え方を学ばないまま先生になれる理由があります。
教え始める入口でも、教え始めたあとでも、踊ってきた経験がそのまま教える経験として扱われやすいのです。
自分が受けたレッスンを再現すれば、クラスはできてしまう
もう一つ大きいのは、長くバレエを習った人なら、教師教育を受けなくてもレッスンの形そのものはつくれてしまうことです。
バーから始まってセンターへ進む。
プリエ、タンデュ、ジュテと組み合わせをつくる。
音楽をかけて、お手本を見せる。
膝が曲がっていたら「膝を伸ばして」と言う。
肩が上がっていたら「肩を下げて」と注意する。
長くレッスンを受けていれば、こうした流れは身体に入っています。
自分の先生が使っていた言葉も覚えています。
だから、改めて教え方を勉強しなくても、クラスを一時間半進めることはできます。
私は、これが教え方を学ぶ必要性を感じにくくする一つの理由ではないかと思っています。
もちろん、自分がお世話になった先生のレッスンを参考にすることが悪いわけではありません。
私も、今まで教わってきたものとまったく無関係に指導しているわけではありません。
ただ、生徒としてレッスンを受けていたときに見えていたものと、先生が実際に考えていたことは同じではありません。
たとえば、先生が同じ練習を何週間も繰り返していたとします。
生徒から見れば、「また今日も同じ組み合わせだ」と思うかもしれません。
でも先生には、その練習をまだ続ける理由があったはずです。
何ができるようになるまで続けるのか。
どこまでできたら次へ進むのか。
誰には別の課題を与えるのか。
それは、組み合わせの順番だけを覚えても分かりません。
先生が注意しなかったことにも理由があったかもしれません。
今は別のことを優先した。
一度に二つ言うと混乱すると考えた。
少し待てば本人が自分で気づくと思った。
生徒として覚えているのは、実際に口にされた言葉です。
口にされなかった判断までは残りません。
だから、同じ順番を出して、同じ注意をしても、同じ指導をしていることにはならないのです。
想定どおりにできなかった人が出てきたとき、どうするか。
説明を変えるのか。
動きを小さくするのか。
一つ前の練習へ戻るのか。
もう少し同じことを続けるのか。
そこで初めて、自分自身の判断が必要になります。
自分が昔、先生から言われて一気に分かった言葉にも注意が必要です。
「あの先生からこの一言を言われて、急にできるようになった」
こういう経験はよく覚えています。
自分に効いた言葉だから、生徒にも言いたくなります。
でも、その言葉を聞いたのがバレエを始めて一か月のときだったのか、十年踊ったあとだったのかでは、意味がまったく違います。
何年も練習してから聞いた一言なら、それまで身体に入れてきたものを思い出すきっかけだったのかもしれません。
初めてバレエを習う人には、思い出すための経験そのものがありません。
「もっと引き上げて」と言われて自分の姿勢が変わった人が、初心者にも同じ言葉を使う。
それを聞いた初心者が胸を大きく持ち上げた。
このとき必要なのは、「違います、もっと引き上げて」ともう一度言うことではありません。
自分の言葉が、その人にはどう聞こえたのかを見ることです。
自分には伝わった。
昔の生徒にも伝わった。
それでも、目の前の人には伝わらないことがあります。
教える仕事では、その事実から逃げられません。
「私の先生はこう教えていた」という言葉は、自分の指導の背景を説明するものにはなります。
けれども、それだけで目の前の人にも同じ方法が合っているとは言えません。
受け継いできたものがあるからこそ、それをこの人にどう渡すのかを考える必要があります。
同じ注意を続けるのか、教え方を変えるのか
もちろん、一度説明してできなかったからといって、すぐに「教え方が悪い」と決めるのも違います。
頭では分かっていても、身体の中で使えるようになるには時間がかかります。
一回やるたびに先生が説明を変えていたら、生徒のほうも何を練習すればいいのか分からなくなるでしょう。
だから、生徒ができないことを全部先生の責任にすることはできません。
習う側には練習が必要です。
そのうえで教師に必要なのが、「今は練習を続けてもらう段階なのか。それとも教え方を見直す段階なのか」を判断することです。
たとえば、タンデュをしている生徒に何度も「膝を伸ばして」と注意しているとします。
先生から見ると、毎回同じ場所で膝が曲がっています。
本人は「はい」と返事をして、また動く。
でもまた曲がる。
ここで「何度言っても直らない」と考えるのは簡単です。
しかし、そのやり取りだけでは、本人がどこで困っているのかはまだ分かりません。
本人は、膝が曲がった瞬間に気づいているのか。
終わってから言われて初めて知ったのか。
それとも、自分では最後まで伸ばしているつもりなのか。
ここは同じではありません。
私なら、まず動きを少しゆっくりにしてもらいます。
「今、どこで曲がったか分かりますか」と確認する。
本人が「あ、ここですね」と分かれば、次はその場所を意識して練習できます。
分からなければ、「膝を伸ばす」練習より先に、曲がった状態と伸びた状態の違いを本人が分かるようにする必要があります。
返事が「はい」だったからといって、理解したとは限りません。
「はい」は、先生の話を聞きました、という返事でもあります。
次に何を変えるのかまで分かった返事とは限らないのです。
ゆっくりなら直せる。
でも音楽に合わせると曲がる。
この場合には、注意の意味を理解していないわけではありません。
分かったことを音楽の中で使えるようにする練習が必要です。
そこで再び最初から長い説明をしても、役に立たないことがあります。
逆に、腕をつけた途端に脚が分からなくなるなら、一度腕を外して練習することもできます。
音楽が速くなった途端に崩れるなら、速度を変えてみる。
順番を覚えることに精いっぱいなら、組み合わせを短くする。
どの条件ならできて、何が加わるとできなくなるのか。
そこを見ていくと、次に何を練習すればいいかが分かってきます。
完成した形だけを見ていると、この途中の変化を見落とします。
先週は、膝が曲がっていること自体が分からなかった。
今週は、曲がった瞬間に自分で気づいた。
もう一回やったら少し直せた。
完成はしていません。
でも、同じ注意を聞き続けているだけの状態ではありません。
反対に、何週間経っても本人が「結局、何をすればいいのか分かりません」と言っているのであれば、「もっと練習してください」と言う前に、こちらが説明の仕方を見直す必要があります。
分かっていない課題を、そのまま宿題のように渡し続けても練習はできません。
教える仕事の難しいところは、ここだと思います。
待ったほうがいいときもある。
変えたほうがいいときもある。
その判断には、生徒が今どこまで分かっているかを見る必要があります。
熱心にたくさん注意を出すことと、よく教えていることは同じではありません。
何を言うのか。
何を今は言わないのか。
どこで待つのか。
どこで戻るのか。
それを考えるのが教師の仕事です。
大人の初心者には、先生自身の経験がそのまま当てはまらない
大人の初心者を教える場合には、もう一つ考えたいことがあります。
先生自身が通ってきた道と、生徒がこれから通る道は同じではないということです。
子どもの頃から週に何回もレッスンを受け、発表会やコンクールを経験し、その延長でプロになった先生がいるとします。
一方で、目の前の生徒は仕事をしながら週に一回通っている。
前回のレッスンから一週間。
その間には仕事があり、家のことがあり、練習する時間が取れなかった。
こういう人に教えるなら、前回の内容を思い出す時間もレッスンの一部になります。
先生からすると「先週やったことの続き」でも、生徒からすると一週間ぶりです。
そこで「先週やりましたよね」と言っても、思い出せないものは思い出せません。
家で練習してきてほしいのであれば、何を、どのように、どのくらい練習するのかまで伝えたほうがいいでしょう。
そもそも自宅で安全にできる内容なのかも考えなければいけません。
大人だから、言葉で説明すれば分かるはずだという考えも危険です。
仕事で難しい判断をしている人でも、初めて聞くバレエ用語と初めてする身体の動きを一度に理解できるとは限りません。
足の順番を確認しているうちに腕の説明が終わる。
腕を覚えているうちに、次の動きが始まる。
一生懸命見ているのに、「ちゃんと見てください」と言われる。
本人からすれば、これ以上どう見ればいいのか分からないでしょう。
何を一度に伝えるのかは、教える側で調整できます。
順番を短くすることもできる。
最初は腕を外すこともできる。
同じ動きを何回か繰り返してから次へ進むこともできます。
一方で、「大人の趣味なのだから、細かく教えなくても楽しければいい」という考えにも私は賛成できません。
趣味であることと、上手くなりたいことは両立します。
舞台に立ちたい人もいます。
きれいに踊れるようになりたい人もいる。
音楽に合わせてセンターで動けるようになりたい人もいる。
本人の希望を聞かずに、「大人ならこのくらいで十分でしょう」と先生が決めてしまえば、その先を教える準備は必要なくなります。
「もっと上手くなりたい」という言葉も、そのままでは広すぎます。
何ができるようになったら本人は嬉しいのか。
今、何に困っているのか。
そこを聞かなければ、先生が考えている上達と、生徒が求めている上達が違うこともあります。
たとえば、「腕がいつも音楽に遅れてしまう」と本人が気にしているのであれば、足の組み合わせを難しくする前に、腕を動かし始めるタイミングだけ練習することもできます。
こうしたことは、教師側が「大人に何を教えるか」を考えて初めて出てきます。
「大人向けクラス」という名前だけでは、中身は決まりません。
不満が出ていないことを、指導がうまくいっている証拠にしない
生徒からすると、先生の教え方について意見を言うのは簡単ではありません。
バレエを始めたばかりなら、ほかの教わり方を知りません。
分からないことがあったときにも、先生の説明が分かりにくいのか、自分が初心者だから分からないのかを判断する材料がありません。
先生に立派な経歴があれば、「自分の理解が追いついていないのだろう」と考える人もいるでしょう。
先生の人柄が好きで、一生懸命教えてくれていると感じていたら、なおさら言いづらくなります。
感謝していることと、分からないことがあることは両立します。
それでも、「説明が分かりません」と言うと、先生を批判しているように聞こえないかと心配する人はいます。
そこで教室側が「苦情が出ていないから問題ない」と判断すると、教え方を見直す情報が入らなくなります。
これは教師にとっても困ることです。
毎回笑顔で帰っている生徒が、実は半年間ずっと同じ注意の意味が分からなかった、ということは起こり得ます。
「質問はありますか」と聞けば十分かというと、それも難しい。
自分が何を分かっていないのか整理できていなければ、質問そのものをつくれないからです。
私は、「今の練習では何を変えようとしましたか」と聞くほうが、その人の理解を知れることがあります。
先生が「膝を伸ばすことを伝えた」と思っていたのに、生徒が「つま先をもっと遠くへ出そうとしていました」と答えたら、少なくとも伝えたことと受け取られたことが一致していないと分かります。
生徒に教師の採点をしてもらわなくても、指導を見直す材料は得られます。
「楽しかったです」という言葉も大事です。
ただ、それだけで「指導内容にも問題がない」とまでは言えません。
音楽に合わせて身体を動かすことは楽しい。
先生も好き。
友人にも会える。
でも、一年間ずっと同じことが分からない。
そういうこともあります。
人数が多い先生だから教え方も優れている、と簡単に決めることもできません。
その先生の雰囲気が好きな人もいる。
時間帯が通いやすい人もいる。
踊っている姿に憧れている人もいる。
逆に、生徒がすぐ上達しないから教師の力がない、と決めることもできません。
生徒にはそれぞれ、それまでの経験も通える頻度もあります。
だから、運営側が見る必要があるのは、「人気があるか」「苦情があるか」だけではなく、その先生が生徒の何を見て、なぜその練習を選んだのかという部分です。
そこを見ずに教師本人の自主性だけに任せてしまうと、教え方を学ぶ人と学ばない人の差は、そのまま残ります。
なぜ「教え方を学ばなくても先生になれる」のか
ここまで書いてきたことを振り返ると、理由はいくつか重なっています。
バレエ教師になるために、共通して必須となる資格や養成課程がない。
踊りの経歴が、そのまま教える力への信頼につながりやすい。
長くレッスンを受けてきた人なら、自分が受けてきたレッスンを再現することで、クラスそのものは成立させられる。
そして、担当を始めたあとに、教え方を誰かに見てもらう仕組みがない教室もある。
そうすると、指導を学ぶかどうかは先生本人の意欲に委ねられます。
もちろん、その中でも自分で本を読み、講習を受け、ほかの先生の指導を見ながら学んでいる方はたくさんいます。
私はそういう先生方を否定したいわけではありません。
むしろ問題にしたいのは、そこまでを教師本人の責任だけにしてよいのかということです。
教室が「このクラスをお願いします」と仕事を任せるのであれば、その人に何を求めるのかを決める責任も教室側にあります。
教師個人の勉強熱心さだけに任せない
勉強には時間も費用もかかります。
クラスを担当した時間に対して報酬を受け取っている先生が、別の日に研修を受ければ、その時間には別の仕事ができません。
「先生なのだから自分で勉強してください」と言うだけなら簡単です。
もちろん、自分の仕事のために自分で学ぶ部分はあります。
それでも、教室として必要だと考えている指導方法があるのであれば、それを学ぶ機会まで用意するのは、仕事を任せる側にも関係することです。
教室の方針を伝えず採用し、しばらく経ってから「うちではその教え方は困ります」と言っても、先生も困るでしょう。
大人の初心者を担当してもらうなら、
どんな人が来るのか。
どこから教えるクラスなのか。
何をできるようになってほしいのか。
どのような注意の出し方をするのか。
そこを最初に共有しておく必要があります。
私は、教師の採用と教師研修を別のものとして考えないようにしています。
人数がそろったから採用は終わり、ではありません。
誰を、どのクラスに、どんな準備をしたうえでお願いするのか。
そこまでが採用だと思っています。
初めて教える人であれば、最初から一人で一クラス全部を担当する必要もありません。
クラスの一部だけ担当してもらうこともできます。
説明をしてもらい、ほかの先生が見る。
終わったあと、「あの説明を聞いて、生徒は何をしようとしていたか」を一緒に振り返る。
もう一度同じ内容を教えてみる。
そうやって教える経験を積むこともできます。
ほかの先生のクラスを見るだけでも、見方を変えれば研修になります。
生徒として見るのではなく、
「なぜ、あの場面で音楽を止めたのか」
「なぜ、今の間違いは注意しなかったのか」
「なぜ、一度バーへ戻したのか」
と考えて見る。
そこで先生本人に理由を聞けば、生徒として受けていたときには見えなかった判断を知ることができます。
教える人を育てる側にも、教え方は必要です。
「もっと丁寧に教えてください」
「初心者に分かりやすくお願いします」
これだけでは、言われた先生は次に何を変えればいいか分かりません。
どの説明で生徒が迷ったのか。
どの部分を先に見せればよかったのか。
何を一度に伝えすぎたのか。
そこまで具体的に話さなければ、教師研修でも同じことが起こります。
「分かりやすく教えてください」と言いながら、研修する側の説明が分かりにくかったら意味がありません。
大人バレエアカデミー™で教師研修を行う理由
大人バレエアカデミー™では、教師研修の中に解剖学、教授法、コーチングを入れています。
解剖学を学ぶのは、身体について知っておいたほうがいいからです。
ただ、筋肉や関節の名前をたくさん知っていれば教えられるわけでもありません。
専門用語を説明できても、それを聞いた生徒の動きが変わるとは限らないからです。
その知識を使って、
何を見るのか。
何が起きていると考えるのか。
どんな練習を提案するのか。
相手にどの言葉で伝えるのか。
そこまで考える必要があります。
だから教授法も必要です。
そして、生徒が何を考えているのかを知るためには、こちらから一方的に説明するだけでは足りません。
自分が伝えたことを、その人がどう受け取ったのか。
何をしようとしているのか。
どこで困っているのか。
そこを知るためのやり取りも必要です。
そこでコーチングの考え方も入れています。
研修を受ければ、それで完成するわけではありません。
担当するクラスが変われば、新しく迷うことがあります。
今まで伝わっていた説明が、ある生徒には伝わらないこともあります。
「あの人にはどう説明すればよかったのでしょうか」
先生からそういう相談が出たときに、「先生なのにそんなことも分からないのですか」と言ってしまえば、次から誰も相談しなくなります。
分からなかったことを持ち帰ってもらう。
次に何を試すかを一緒に考える。
実際に試してもらう。
その結果をまた聞く。
上手くいかなければ、こちらが出した助言も見直す。
私は、それが教師を育てる仕事だと思っています。
教師研修を行う立場だから、私の考えがいつも正しいということでもありません。
こちらが提案した方法でうまくいかなければ、私も考え直さなければいけない。
生徒に「できなかった原因を一緒に考えましょう」と言うのであれば、教師にも同じことをしなければいけません。
習う側だけが反省するレッスンにしたくない
バレエを習っている方に伝えたいのは、同じ注意を何度も受けたからといって、すぐに「自分には才能がない」と考えなくていいということです。
分かっているけれど、まだ身体の中で使えないのかもしれません。
そもそも、何を変えればいいのか分かっていないのかもしれません。
今の練習では難しすぎるのかもしれない。
別のところが邪魔をしているのかもしれません。
原因によって、次にやることは変わります。
そこを一緒に考えることも、先生の仕事です。
そして先生に勉強を求めるのであれば、教室を運営している側にもやることがあります。
踊りの経歴だけを見てクラスを任せる。
その後は何年も指導を見ることがない。
問題が起きなければ、そのまま続けてもらう。
それでは、教え方を学ぶかどうかは、結局ずっと本人任せです。
「入門クラスをお願いします」とお願いする前に、その人が初心者に教えるところを見る。
どこは任せられるのか。
どこは一緒に考えたほうがいいのか。
担当が始まったあとも、伝わらなかったことや迷ったことを持ち帰ってもらう。
私自身も、その相談を受けながら指導の仕組みを見直す。
そこまで含めて、私は先生にクラスをお願いしたいと思っています。
踊ってきた経験を軽く見ているからではありません。
長い時間をかけて身につけてきたものには、大きな価値があります。
だからこそ、その経験を目の前の生徒にどう渡すのかまで、先生一人の勘と努力だけに任せたくないのです。




