こんにちは、大人バレエアカデミー™、バレエトレーニングディレクターの猪野です。

バレエを何年も習っているのに、自分が上手くなっているのか分からない。そんなとき、皆さんは何を見て判断しているでしょうか。

ピルエットの回転数が増えたら分かりやすいですし、前はついていけなかったクラスで踊れるようになれば、うれしいですよね。

ただ、そういう目立つ変化がしばらくないと、自分が進んでいるのか、同じところにいるのか分からなくなります。

 

毎週通って、毎回注意されて、言われたことを直そうとしている。それでも不安になって先生に尋ねたら、「焦らず続けましょう」「大人ですから楽しむことが一番です」と返ってくる。

励ましてくれているのは分かります。でも、知りたかったことは、そこでしょうか。

今より上手くなりたくて習っているのだから、今の練習で何が変わっているかを知りたいというのは当然です。

上達の目安を示している教室もありますし、表になっていなくても、日々の指導で具体的に伝えている先生はいます。今回考えたいのは、そうした説明がないまま、長く通えてしまう教室のことです。

バレエが上手くなるには時間がかかる。それは、生徒の多くも分かっているでしょう。だからこそ、途中で何を確かめるかが必要なのに、そこだけが先生に任せきりになっているのです。

レッスンを終えるためには、上達の確認はいらない

例えば、ある人が一年間、毎週同じクラスに通ったとします。先生は休まず教え、生徒も熱心に受講しました。毎回バーからセンターまで進み、たくさん注意を受けています。

一年たって、本人が「私のどこが変わりましたか」と尋ねたとき、先生は具体的に答えられるでしょうか。

答えられる先生ならよいのです。でも、出席していたことや、頑張っていたことは分かっても、動きの変化までは説明できないとしたら、何を見ながら一年間教えていたのかは気になります。

バレエのクラスには、一定の進め方があります。順番を出し、音楽をかけ、生徒が動き、先生が注意する。次の動きへ進み、最後まで終えれば、一回のレッスンになります。

その流れの中で、目の前の生徒を直すことはできます。ただ、前に教えたことが身についたかを確かめる場面は、意識して作らなければ抜けてしまいます。

先生に直されて、その場ではできた。ところが、翌週には元に戻っていた。そこでまた同じ注意を受けて直したとしたら、二回とも指導は受けています。でも、自分でできるようになったかは別に見なければ分かりません。

教師には、その日に教えた内容が残ります。生徒にも、レッスンを受けた実感が残ります。身体も使いましたし、難しいことにも挑戦しました。双方に「今日もしっかりやった」という感覚があるので、それ以上確かめなくても終われてしまうのです。

ここが、上達の基準が後回しになる一つの理由です。

先生が怠けているとは限りません。むしろ熱心に、次々と注意をしているかもしれません。ただ、目の前の間違いを直すことで時間が埋まり、その人が前回からどう変わったかを追っていない。その場合、注意は多くても、練習の経過は本人にも先生にも分かりにくくなります。

生徒が欲しかったのは、レッスンを受ける時間だけではなく、その時間を使ってできるようになることだったはずです。

もちろん、何か月でどこまで上達するかを、必ず約束できるわけではありません。人が学ぶことなので、予定どおりに進まない部分はあります。それでも、何を教えていて、どこまで身についたかを説明することはできます。結果を保証できないから経過も説明しないというのは、話が違います。

「先生が見れば分かる」で終わってしまう

上達の基準が全くないというより、先生の頭の中にだけある場合もあるでしょう。

先生は動きを見れば、前よりよくなったと分かる。次に何を直したいかも分かる。でも、その判断を生徒に伝える習慣がなければ、習う側には何も見えません。

「今のはよかったです」と言われても、本人が思い当たるのは、そのとき意識していたことです。先生が見ていた部分と一致するとは限りません。

例えば、腕を動かしたときに肩が上がらなくなったので、先生が褒めたとします。ところが本人は、指先をきれいにしようと考えていた。次も同じようにしようとして指先ばかり気にしていたら、また肩が上がって注意されるかもしれません。

先生から見ると、さっきできたことができなくなった。生徒から見ると、褒められたことをやったのに注意された。評価の理由が伝わっていなければ、こうしたすれ違いが起きます。

「腕を上げても肩の位置が変わらなかった」と一言あれば、本人も次に何を確かめるかが分かります。褒める言葉に具体性が必要なのは、気分よく通ってもらうためだけではありません。同じ動きをもう一度できるようにするためです。

でも、先生にとって当たり前のことほど、説明から抜けます。長く踊ってきた人には一つの動きとして見えているものが、初めて習う人には、いくつも分からない部分のある動作だからです。

生徒のほうも、先生の判断に口を挟んではいけないと感じていたら、理由を尋ねません。「まだだめ」と言われれば、まだなのだろうと受け止めます。

そうして、先生は自分の評価が伝わっているつもりで教え、生徒は意味をつかめないまま従う。その関係が続くと、基準を言葉にする機会そのものがなくなります。

 

専門家の目が必要なのは、そのとおりです。ただ、その目で見えていることを、初心者にも分かるように説明するために教師がいるのではないでしょうか。

私自身も、こちらが使った言葉と、相手が受け取った意味が違っていた経験があります。説明した側は、自分の意図どおりに伝わったと考えやすいのです。だから、返事があったことだけで済ませず、実際に相手が何をしようとしたかを見る必要があります。

先生の言葉の意味をうまく推測できる人だけが前へ進むようでは、教える側に都合がよすぎます。

しかし、これがプロを作るための学校では当たり前なので、それを趣味の世界に持ってきてしまうという根深い問題があります。

「趣味だから」で、目標を決めずに済ませていないか

大人のクラスでは、教室側と生徒側で、レッスンに求めているものが違う可能性もあります。

先生は、仕事のあとに楽しく身体を動かして帰ってもらえればよいと考えている。一方、生徒は、時間がかかっても身体の使い方を覚え、以前よりきれいに踊りたいと考えている。

どちらもレッスンを楽しみにしているので、最初は食い違いが表に出ないかもしれません。しばらく通って、生徒が変化のなさに悩んだときに、初めて違いが見えてきます。

そこで「趣味ですから、そんなに気にしなくても」と言われると、生徒には行き場がありません。上手くなりたいと思うほうが、教室の趣旨を理解していないような扱いになってしまいます。

でも、趣味という言葉だけでは、どこまで習いたいかは決まりません。

趣味で楽器を習っている人でも、弾けなかったところを弾けるようになりたいでしょう。仕事にするつもりがなくても、料理が上手くなればうれしいはずです。バレエを趣味にしている人が、自分の動きを変えたいと望むのも、同じくらい普通のことです。

毎回の達成度を気にせず、踊る時間を楽しみたい人もいます。その人に細かな課題を押しつける必要はありません。ただ、目標を持って練習したい人まで「大人は皆同じ」と扱わないでほしいのです。

しかも、教える側が「基礎から丁寧に」「上達をサポート」と伝えているなら、生徒はそこに期待して通います。入会するときには上達を期待させて、成果を尋ねられたときには趣味なのだからと引き下げる。それは通う側からすれば納得しにくいでしょう。

何を学べる場所なのかをはっきりさせると、合わない人も出てきます。楽しくたくさん踊りたい人に、動きを分けて繰り返すレッスンは退屈かもしれません。逆に、じっくり直したい人には、次々に進むクラスが物足りないでしょう。

両方に同じ説明で来てもらおうとすれば、教室の目標は曖昧になります。その曖昧さを残したままでは、上達の基準も決めにくいのです。

私は、できるようになる過程を楽しみたい大人を応援する立場です。そのためには、ときには地味な練習をしてもらいます。ただ、それを求めるなら、何のためにしているかを説明するのも、教える側の仕事です。

生徒に合うかどうかを判断してもらうためにも、教室が何を提供するかは曖昧にしないほうがよいでしょう。

基準を示すと、教え方にも結果が返ってくる

もう一つ、避けて通れないことがあります。上達を確認できるようにすると、変わらなかったことも分かります。

ある課題について練習を続けたのに、同じ条件で確かめても動きが変わっていない。そのときは、今までの指導でよいのかを考えなければいけません。

例えば、ピルエットで立ち上がるときに身体が傾くので、その部分を練習していたとします。何度も注意し、生徒も気をつけている。それでも同じように傾くなら、次にすることは、同じ注意をさらに強く言うことなのでしょうか。

先生が説明した意味を、本人が違うように受け取っているかもしれません。回転をつけない練習ならできているのに、回ろうとすると別の動きになっているのかもしれません。そもそも教師が、傾き始めるタイミングを見誤っていた可能性もあります。

確認してみると、自分の説明や課題の出し方を変えなければいけない場合が出てきます。教師にとって、いつも気持ちのよい作業ではありません。

一方で、何を確かめるかが決まっていなければ、「もっと練習しましょう」で続けられます。生徒も先生にそう言われれば、自分の努力が足りないのだろうと考えるでしょう。

上達したら、先生のおかげ。上達しなかったら、本人の努力や身体の条件の問題。この説明がいつも通るのであれば、どんな結果になっても教師は教え方を変えなくて済んでしまいます。

私は、そこに問題があると考えています。

教えたことがすぐ身につかないのは普通ですし、練習不足の人もいるでしょう。ただ、その判断も、今の状態を見て初めてできます。一度もできていない人と、できるけれど毎回は再現できない人に、同じ意味で「練習不足」と言うことはできません。

前者には、まだ方法の説明や、もっと取り組みやすい課題が必要かもしれません。後者なら、できる条件を確認したうえで繰り返す時間を増やす意味があります。そこを見ずに回数だけ求めたら、生徒は何を繰り返せばよいのでしょうか。

もちろん、基準が曖昧な先生が全員、責任を逃れようとしているわけではありません。本人も自分の教わってきたやり方で、一生懸命に教えている可能性があります。ただ、その善意とは関係なく、成果を確認しない指導では、やり方が見直されにくくなるのです。

「私の教え方なら、できるはずだ」という自信を持つのは自由です。でも、目の前の生徒ができていなければ、その生徒に届く方法を考えるしかありません。

生徒にやり直しを求めるのと同じように、教師も自分の説明や判断をやり直す。上達の確認は、そのきっかけになります。

点数をつける前に、練習の途中を見てほしい

では、上達を測る基準を作るとしたら、何を決めればよいのでしょうか。

全国の大人バレエを同じ点数で評価するような、大がかりな話を始める必要はありません。まず、今教えていることについて、何が変われば前進と判断するのかを、生徒と共有すればよいのです。

例えば、短い振付を自分で覚えて踊れるようになることを、当面の課題にしたとします。最初は先生が一緒に動かないと途中で止まってしまう。その人が何回か練習して、先生の見本なしでも最後まで動けたら、まず一つ変わりました。

ただ、横の人を見ながら動いているのであれば、本当に自分で覚えているかはまだ分かりません。短い部分だけでも、見本に頼らずできるかを確かめます。名前を言えば動けるけれど、言われなければ止まるなら、今はその助けが必要な段階です。

そこまで分かれば、順番を覚えていないのか、順番は分かっていても動くと間に合わないのかを分けて考えられます。前者には確認する時間が必要ですし、後者なら、速さや組み合わせを調整して練習する余地があります。

そして次のレッスンでも、同じ短い部分を確かめてみる。前回は何度も見本が必要だったのに、今回は一度の説明で動けたなら、そこは記録できます。完全に覚えていなくても、前回と同じではありません。

反対に、毎回最初から見本に頼っていて変化がないなら、覚え方を教え直す、組み合わせを短くするなど、課題の出し方を考えます。

このくらいの確認でも、「振付を覚えるのが苦手ですね」で終わらせずに済みます。生徒の性質を評価する話から、何を練習すればよいかという話になります。

ここで、順番を覚えたから踊りが全部よくなったと扱う必要はありません。今は、先生の見本を追わずに動けるようになったところを確認しています。腕や顔の向きがまだつかなくても、今回の変化まで取り消すことはないでしょう。

こうした途中の段階を扱わず、完成した踊りだけを見ると、生徒はいつまでも「できていない人」です。

回転数や脚の高さを目標にしたくなるのも、そこなら自分で変化を判断しやすいからです。ほかの見方を教えずに、数字ばかり追わないよう注意しても、生徒は困ります。

技の結果だけでは見落とす変化を、教師が見つけて伝える。それができれば、難しい技に挑戦し続けることだけが上達ではないと、実感を持って理解できます。

また、一度うまくできた日を基準にして、翌週できなかったら全部戻ったと判断するのも早いです。初めての組み合わせだったのか、いつもより速かったのかなど、条件が違えば結果も変わります。同じような条件で何度か確かめれば、たまたまできた部分と、自分で使えるようになってきた部分が見えてきます。

点数をつけることより、この経過を見てもらえるほうが、練習する側には役に立つはずです。

そこまでやるなら、教室側の準備も変わる

こうした指導を、毎回その場の先生の気配りだけに任せるのは無理があります。上達を確認する仕組みを作るなら、教室を運営する側にも仕事が増えます。

まず、そのクラスで何を学ぶのかを決めなければいけません。「初級」と名前をつけるだけでは、どんな動きを、どの程度までできるようにしたいかは決まりません。

例えば、基本の動きを知っている人が、短い組み合わせの中でも身体の使い方を保つためのクラスにするなら、最初に覚えておいてほしいことがあります。まだ動きの名前も分からない人が入れば、本人も苦労しますし、教師も同時に説明することが増えます。

そこで、必要な準備を案内する、前の段階で習える場を用意するなど、クラスのつなぎ方まで考えることになります。上達の目安を出すと、まだ準備ができていない人に何を提供するかも問われるのです。

次に、同じクラスを担当する教師の間で、判断を合わせる作業があります。

ある先生は、順番どおりに動ければよいと考え、別の先生は、身体の位置まで保てなければ次に進めないと考えている。その違いが説明されなければ、生徒には、先生によって評価が変わる教室に見えるでしょう。

教え方を全部同じにする必要はありません。ただ、今どこまでを求めているかは共有したいところです。文章だけでは伝わりにくければ、実際の動きを見ながら、何を評価したかを教師同士で話す。そのための時間も必要になります。

代講の先生に変わったときも、引き継ぐものが「この人は長く通っています」だけでは足りません。何年やっているかより、今何に取り組んでいるかが分かるほうが、指導を続けやすいからです。

とはいえ、全員について毎回長い報告書を書けばよいわけでもありません。記録に追われて、生徒を見る時間がなくなったら本末転倒です。例えば、継続して取り組む課題と、直近でどこまでできたかを短く残す。それをいつ確認し、誰に伝えるかまで、無理なく続けられる形を考えます。

ここには費用もかかります。教師同士の打ち合わせや記録を仕事として求めるなら、その時間をどう確保し、報酬をどう扱うかは運営側の問題です。

「生徒のために丁寧に」と言いながら、必要な仕事を教師の善意に任せていたら、担当する人によって差が出ます。熱心な先生が自分の時間を使っている間だけ成り立つ仕組みでは、教室として提供しているとは言いにくいでしょう。

人数についても同じです。短い時間の中で、何人のどこまでを見られるのか。できる範囲を超えて個別の上達を丁寧に見ますと約束すれば、現場の先生が無理を引き受けることになります。

だから、上達の基準を示すことは、案内文に項目を足すだけでは終わりません。教師をどう育てるか、クラスをどう組むか、仕事に必要な時間をどう払うかまでつながります。

そこを変えず、今までと同じ運営のまま「もっと一人ひとりを見てください」と求めても、続かないでしょう。

基準が曖昧なままになる背景には、こうした準備をしなくても、レッスン自体は開けてしまうという事情があります。でも、上達を望む人に選んでもらうなら、教室側が引き受けるべき手間です。

基準がある教室なら、それで安心とも限らない

一方で、項目や試験を用意しただけで、よい指導になるわけでもありません。

「ピルエット二回転」という基準だけなら、回転数を増やすことに集中する人が出てくるでしょう。終わり方や、次の動きにつながるかを見なければ、基準を満たすために、本来教えたかった部分が後回しになる可能性があります。

また、一度できた動きにずっと合格をつけたままでは、今どうなっているかは分かりません。新しい組み合わせに入るとできなくなるなら、その場面で練習する必要があります。

表に印がつくことを目的にしたら、生徒は印を増やすために通うようになります。それでは、クラス名や回転数だけで上達を判断していたときと、あまり変わりません。

使う基準が、今の練習に役立っているかも見直すべきです。

芸術だから数値にできないという話もありますが、踊りの魅力を全部点数にする必要はありません。ある曲で腕を開き終えるタイミングを練習しているなら、決めた音に合っているかは一緒に確認できます。その確認で、表現全体のよしあしまで決めたことにはなりません。

何を確かめるための目安なのかを、狭く具体的にしておけばよいのです。

そして、基準を満たしていないと伝えるなら、その人がどう練習すればよいかまで考えてほしい。できる人を選ぶだけで、できない人には何も用意しないのであれば、教わる側の困りごとは残ります。

例えば、次のクラスを受けるには、いくつかの動きを知っている必要があるとします。まだ知らないなら、どこで習えるのか。やり方は知っていても、組み合わせると難しいなら、どのクラスで練習できるのか。そうした案内があって初めて、基準が次へ進むために使えます。

できないことを告げるためだけの基準なら、生徒にとっては、新しく断られる理由が増えただけです。教える側には、その先を用意する仕事があります。

続けてくださいと言うなら、続けた結果を見てほしい

上達が分からないとき、生徒は自分に原因を探しやすいでしょう。年齢のせいかもしれない、運動が苦手だからかもしれない、もっと通わなければいけないのかもしれない。

そう考える前に、先生と一緒に確かめてください。

「今練習しているところは、前より変わっていますか。次は何ができるようになればよいですか」

その質問に、具体的な動きを見て答えてくれるなら、そこから練習を続けられます。思っていたより進んでいるかもしれませんし、まだ同じところで困っていると分かるかもしれません。どちらも、次を考えるための材料になります。

もし、以前の状態を先生が覚えていなければ、今日の動きを確認して、次に比べればよいでしょう。分からないことを無理に褒めて埋める必要はありません。これから確かめると決めて、実際に見てもらえれば、話は進みます。

反対に、尋ねるたびに「そのうち分かります」「もっと続けてください」だけで終わり、何を練習するかも変わらないなら、別の先生の説明を聞いてみるのも選択肢の一つです。長くお世話になったことに感謝しながら、今の自分に必要な指導を探すことはできます。

ただ、本来は、生徒がこういう質問をできるようになるまで待つ話ではありません。何を見れば上達が分かるのかを知らない人にも、それを教えるために教師がいます。

「バレエは時間がかかります」と言うなら、その時間の中で何を学んでいるのか、

半年後も同じところで困っているなら、さらに半年続けるよう勧める前に、今の方法でよいかを考えてほしいのです。

上達を約束できないことを理由に、教えた結果まで曖昧にしてよいとは、私は考えません。

生徒に努力を求める以上、教師もその努力が何につながったかを確かめ、次に教えることを決める責任があります。

そこに基準をもつ先生に教わるのが上達するために、生徒側も選ばなければいけません。

キーワードで記事を探す