大人バレエアカデミー、バレエトレーニングディレクターの猪野です。
■バレエダンサーはなぜ「稼げない」と言われるのか
バレエダンサーは稼げない。
バレエの世界にはお金が回らない。
そんな言葉を、もう何年も聞いてきました。
特に日本では「バレエで食べていく」ということが、ほとんど夢物語のように扱われています。
でもこれは才能の問題でも、バレエという芸術そのものの価値の低さでもないと思っています。
いちばんの問題は「プロフェッショナルとは何か」を、多くの人が勘違いしていることです。
今日はこの「プロフェッショナルの定義」と、「バレエダンサーがお金を稼げない本当の理由」についてお話しします。
■まずは結論から言うと
プロフェッショナルとは
「クライアントが求めている価値を提供し、その対価としてお金を受け取り、生活していける人」
です。
「自分の好きなことをやり続けるための肩書き」ではありません。
そして
「あなたが好きかどうか」は、クライアントから見れば一円の価値にもならない。
ここを勘違いしている限り、どれだけ踊りが上手くてもバレエでは食べていけません。
■社会で通用するプロフェッショナルの定義
私はプロフェッショナルを、次のように定義しています。
「自分にはできないことを、代わりにやってほしい人がいる」
「その人が、お金を払ってでもやってほしいと思う」
「それを提供することで、生活していけるだけの収入を得ている」
この三つがそろって、はじめてプロフェッショナルです。
イメージしやすい例でいうと
・病気になったら、プロのお医者さんに行きます
・法律トラブルがあれば、プロの弁護士に相談します
・美味しいものが食べたければ、プロの料理人が作った料理を食べに行きます
ここに共通しているのは
「クライアント(患者・依頼人・お客さん)が困っている」
「解決のために、お金を払う理由がある」
「その能力で、プロ側は生活している」
という構造です。
ここには「お医者さんがどれくらい病気が好きか」も
「弁護士がどれくらい法律を愛しているか」も、まったく関係ありません。
重要なのは
・困っている人がいる(ニーズ)
・それを解決できる(能力)
・その価値にお金が支払われている(対価)
これだけです。
■バレエ界でよくある「プロ」の勘違い
一方で、バレエ界でよく聞く「プロ」の定義は、残念ながらこうです。
「私はバレエが好きだ」
「好きなバレエを続けていきたい」
「だからプロダンサーになりたい」
つまり
「自分の好き」を守るための手段として“プロ”という言葉を使っている。
ここには「クライアント」がほとんど登場しません。
・誰があなたの踊りを見たいのか
・その人は、いくら払ってでも見たいのか
・そのお金で、本当に生活が成り立つのか
こういった視点が、すっぽり抜け落ちています。
だから私が
「それ、プロじゃないですよね」
「クライアントのニーズがないから、食べていけないんですよね」
と言うと
「こんなに頑張っているのに、なんてひどいことを言うんだ」
「バレエへの愛を否定するのか」
と、感情的な反発が返ってきます。
でも、私は「頑張り」や「情熱」の話をしているわけではありません。
ただ単に「社会の仕組みとして、プロはこういうものです」と言っているだけです。
■この世界を動かしている三つの円
話を整理するために、三つの円の話をします。
この世界には、少なくとも次の三つの領域があります。
・クライアントが求めていること
・自分が得意なこと
・自分が好きなこと
この三つは、必ずしも重なってはいません。
・クライアントが求めているかどうか分からないけれど、自分は好きなこと
・好きかどうかは微妙だけれど、やると得意で結果が出てしまうこと
・自分は好きだし得意だけど、クライアントはほとんど求めていないこと
いろいろなパターンがあります。
この中で
「クライアントが求めていること」と
「自分が得意なこと」
この二つが重なっているところ。
ここが、現実的に“お金になるゾーン”です。
この部分が大きいほど、プロフェッショナルとしては成功しやすい。
そして、とてもまれに
・クライアントが求めていること
・自分が得意なこと
・自分が心から好きなこと
この三つがきれいに重なっている人がいます。
いわゆる「トッププロ」と呼ばれる、ほんの一握りの人たちです。
■多くのダンサーがハマる「好きの罠」
問題は、多くのバレエダンサーが
「自分が好きな踊り」の円だけを見て
「ここには価値があるはずだ」
「だから私はプロのはずだ」
と信じ込んでしまっていることです。
でも、現実には
「自分が好きな踊り」が
多くの人に求められていないことがほとんどです。
だから、お金が回らない。
だから、プロとして成り立たない。
とてもシンプルな話です。
■「好き」に価値はない?という現実
ここは耳が痛いかもしれませんが、
社会にとって価値があるのは
「あなたが好きかどうか」ではなく
「誰かに必要とされているかどうか」
だけです。
病気を治すお医者さんについて考えてみてください。
・その医者が「この病気を治すのが好きかどうか」はどうでもいい
・大事なのは「治す能力があるかどうか」
それだけですよね。
バレエも同じです。
・あなたがどれだけバレエを愛しているか
・どれだけバレエのために人生を捧げてきたか
それ自体には、経済的な価値はありません。
価値が生まれるのは
「誰かがあなたの踊りを見たいと思っている」
「そのためにお金を払ってもいいと思っている」
この条件がそろったときです。
■子どもの「好き」と大人の責任
ここで誤解されたくないのは
「子どもの好きは否定していない」ということです。
子どものうちは
「好きだから頑張る」
「夢中になれることに時間をかける」
これはとても大事なエネルギーです。
問題は、大人側が
「その先に本当に道があるのか」
「このままアクセルを踏み続けたら、どこに行き着くのか」
を、誰も説明していないことです。
・クライアントのニーズはどこにあるのか
・バレエの外では、どんな職業や働き方があるのか
・お金を回す仕組みを理解するには、何を学ぶべきか
こういったことを、本来は大人が考えて伝えないといけません。
子どもより長く生きている分だけ
社会の仕組みやお金の流れを理解しているはずだからです。
■「バレエ団を守りたい」が美談にならないとき
バレエ界ではよく
「私はバレエが好きだから、この世界を守りたい」
「主催の先生が借金をしてでも公演を続けてくれた」
という話が、美談のように語られます。
でも、冷静に見ると
・クライアントニーズの分析もせず
・ビジネスモデルも作らず
・お金の仕組みも学ばず
「好きだから」「伝統だから」という理由だけで
赤字の構造を放置している。
これは残念ながら、美談ではなく「自業自得」です。
好きであることと、プロとして成り立つことは別の問題です。
■大人バレエアカデミーで私が目指していること
私が今、大人バレエアカデミーというスタジオ事業で大事にしているのは
「クライアントである大人のバレエ愛好家の方々に、ちゃんと価値を届けること」
です。
・大人になってからバレエを始めた人
・子どもの頃に少しだけ習って、大人になって再開した人
そういう方たちが、自分からお金と時間を投資して
「バレエと関わり続けたい」と思って来てくれている。
だから私は
・解剖学
・バイオメカニクス
・ケガをしない体の使い方
といった、自分が得意な領域を使って
「大人でも安全に、長く、上達しながらバレエを楽しめる」
という価値を提供しようとしています。
大人の方たちが
・バレエを嫌いにならずに
・長くレッスンを続けてくれて
・やがて舞台や公演も見に行こうかな、と思ってくれる
そうやって、お金がバレエ界全体に回っていく。
私は、この「大人のクライアントを大切にすること」が
業界を守るための現実的な一歩だと考えています。
■まとめ プロであり続けるために考えたいこと
・プロフェッショナルとは「クライアントのニーズを満たし、その対価で生活できる人」
・「自分が好きだからやりたい」は、プロとしての出発点にはならない
・社会で価値があるのは「好き」ではなく「必要とされるかどうか」
・三つの円(クライアントが求めること・自分が得意なこと・自分が好きなこと)が重なった一部だけが、お金になるゾーン
・トッププロは三つが奇跡的に重なったごく少数。それを前提にしてはいけない
・子どもの「好き」を否定する必要はないが、その先に道があるかは大人が示すべき
・バレエ界を守りたいなら、「好き」だけでなく、お金の仕組みとビジネスモデルを学ぶことが必須
・自分の好きより先に、「自分の能力の中で、人に本当に必要とされるものは何か」を考えるべき
バレエで生きていきたい人ほど、一度立ち止まって
「自分が思うプロフェッショナル」と「社会で通用するプロフェッショナル」が
ずれていないかを確認してみてください。
そのずれが小さくなるほど、この世界で貧乏になりにくくなりますし、
バレエを長く続けられる可能性も高くなります。
あなたが、バレエを愛しながら
クライアントにとっても価値のあるプロフェッショナルとして
長く活動できることを願っています。



